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桜井と製図用紙の歴史

更新日:5月30日



創業から120年を超える弊社ですが、創業当時から「製図用紙」関連製品を取り扱っていたわけでなく、さまざまな事業転換期を経て現在の事業形態となっています。


現在は、広告関連資材を扱うサイングラフィック事業、スタクリン(無塵紙)を中心にクリーンルーム用品を扱う産業材事業が3本の柱となっています。

「製図用紙」を取り扱い始めた時期を弊社にある「桜井百二十年史」より抜粋してお伝えしていきます。


---目次-------------------

1.創業当時(明治32年 1899年)

2.感光紙の取り扱い(大正5年 1916年)

3.製図用紙との発展(昭和初期 1926年)

4.おわりに

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1.創業当時(明治32年 1899年)

屋号は桜井大二郎商店として、紙製品を取り扱う会社として出発しました。

そこで、当時名刺に使用する洋紙・和紙の表裏の差がはっきりしていることに着目し、表裏差のない名刺を思いつき、製造を行いました。当時は、予想以上に爆発的な売れ行きで後年「星名刺」として、全国に広く知れ渡りました。


「星」「スター」ブランドは、代表的商標として現在も使用しています。

   当時の看板


2.感光紙の取り扱い(大正5年 1916年)

看板商品である「星名刺」主力に、封筒・荷札・名所絵はがきなど扱い商品も次第に増え、紙製品の多角化を図ることで、工場を新設し感光紙と製図用紙の製造が始められました。


当時の感光紙は、使用者自身が薬品を調合して刷毛で薬液を塗布するものでした。桜井でも手塗り加工をしておりましたが、本格的な生産に入るために設備を導入し、長尺感光紙への塗布加工をして「星青写真感光紙」と名付けて販売いたしました。


製図用のロール紙は、四六判を50枚継ぎ合わせてロール製品に加工したり、トレーシングペーパーは1100㎜幅の原反ロールを輸入し、小巻加工して販売いたしました。

この時期が「星製図用紙」の出発の原点となっています















製図用紙発売当初のラベル               当時の青写真感光紙の販売価格

               

3.製図用紙との発展(昭和初期 1926年)

関東大震災の復興事業で「星青写真感光紙」を中心に、製図用ロール紙の需要は急拡大し、名刺に次いで、主要商品の位置を占めるようになりました。

この頃になり、青写真感光紙からジアゾ方式による陽画感光紙が時代の脚光浴びるようになってまいりました

桜井では、早くから陽画感光紙に着目し、試行錯誤か重ねながら、ジアゾ法による陽画感光紙の開発に成功させることができました。

ジアゾと創業者の名をからめて「ダイアド陽画感光紙」と命名し、昭和5年に販売を開始するに至り、桜井が製図用紙で確固たる社会的地位を築いてまいります


その後、スターアジャスターケース、方眼紙、デルミナシリーズなどのヒット商品も生まれてきましたが、それらは次の機会にご紹介させていただきます。



4.おわりに

いかがでしたでしょうか。

100年以上前から製図用途に関する感光紙やトレーシングペーパーの販売を手がけていることがわかります。

恐らく、記録に残っていない数々の失敗があったと想像できますが、当時の先輩方の情熱には、世代を超えて尊敬できます。

現在までに、さまざまな事業転換期を経てまいりましたが、普通紙・トレーシングペーパー・コート紙・合成紙などの大判ロール紙を取り扱う情報サプライ事業は、今でも桜井の大きな事業のひとつになります。


また、創業当時から、新しい商品(価値)に挑戦し続ける姿勢は、「企画開発型商社」として今も脈々と受け継がれています。



執筆者紹介

 

冨居 大輔(tomii daisuke)

2001年桜井株式会社に入社。

Web関連業務責任者としてグループリーダーとして日々PCと格闘中。

趣味は子供とサッカーで一緒に汗を流す、元高校球児。

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